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クレムリン株式会社:プーチンのロシア

昨年の11月、ロシア人でもとKGB工作員アレクサンドル・リトヴィネンコ氏が、ロンドンの病院で不可解な死に方をしたことは記憶に新しい。氏はチェチェンへのプーチン政権の介入を告発してことで、かねてよりプーチンから目の敵にされていたため、その変死は様々な憶測を呼んだ。

氏の体内からは致死力の高い放射性物質ポロニウム210が検出された。これは、ロシアの政府機関でしか作っていないとされるものである。誰かがこの毒を持ち出して、氏に飲ませたに違いない。だがその解明はなかなか進まないまま、事件はお蔵入りしようとしている。無論、ロシア政府は事件へのかかわりを強く否定している。

リトヴィネンコの事件は、ロシア国外、それもイギリスで起きたために、国際的な関心事になったが、ロシア国内において、反体制知識人の抑圧が深く進行していることは、なかば公然の秘密となっている。その秘密の一端について、このたび、雑誌ニューヨーカーのモスクワ駐在員マイケル・スペクターが、詳細に分析した長文の記事を書いた。

「クレムリン株式会社:死にゆくヴラヂーミル・プーチンの敵」KREMLIN, INC. Why are Vladimir Putin’s opponents dying? と題したこの記事は、最近のロシア国内におけるジャーナリストの暗殺事件を取り上げ、その背景にあるロシア社会の閉塞状況を抉り出している。

記事がまず取り上げているのは、チェチェン問題へのかかわりで知られた女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの死だ。アンナ・ポリトコフスカヤは、リトヴィネンコ事件のおよそ1ヶ月前、10月7日に、モスクワの自宅アパートのエレベーター前で殺された。その日の夜、ショッピングセンターでの買い物から車でアパートへ帰るところを、殺し屋に尾行された彼女は、アパートの前に車をとめ、荷物を一旦部屋へ運んだ後、残りの荷物を取りにエレベーターで再び一階に下りて来た。そしてエレベータのドアが開いたと思う間もなく、殺し屋に撃たれたのである。

殺し屋の放った弾丸は4発だった。最初の2発は彼女の心臓と肺を撃ち抜き、3発目は肩を撃ち砕いた。その衝撃で彼女はエレベーターの中に突き飛ばされたほどだ。殺し屋はなおも執拗に、既に死んでいたに違いない彼女の頭を、至近距離から撃ち砕いた。ロシアの殺し屋たちの間で、「コントローリヌィ・ヴィストリェル」(とどめの一発)と呼ばれているものだ。殺し屋は不敵にも、殺人に用いたピストルをその場に投げ捨てて去った。銃の認証番号が削りとられていたことは、いうまでもない。

殺される半月ほど前、アンナ・ポリトコフスカヤはチェチェンの首都グロズヌィの病院に一人の女性を見舞った。女性は自宅のベッドで寝ていたところを、ロシアの工作員に踏み込まれ、腹に散弾を打ち込まれたのだった。散弾の一つ一つには重いエッジがついていて、肉に食い込むと容易には離れない。国際条約で禁止されている凶器である。その散弾を取り除くため、女性は胸から股にかけて切り開かれ、内臓を抉られる手術を受けた。そのさまが七面鳥のようで、見ていられないと彼女は書いた。犯人は、この記事への意趣返しとして、アンナの体に弾丸を撃ち込んだのだろう。

アンナ・ポリトコフスカヤは、何故殺されなければならなかったか。彼女はチェチェンの悲劇を、自分の生涯のモチーフとして書き続けていた。それはプーチン政権にとっては不都合きわまることであり、彼女の存在は目の上のこぶであり続けた。彼女は、テレビは無論影響力のある大手のメディアからことごとく締め出された。それでも、「ノーヴァヤ・ガジェータ」という小さな雑誌を舞台にして、チェチェンでの真実を書き続けた。

そんな彼女の活動が海外に知られるようになると、クレムリンはいよいよガマンがならなくなった。ロシアの恥部が世界中にあからさまになるからだ。クレムリンはことあるごとに、彼女の取材活動を妨害した。取材のためにチェチェン入りすると、現地の役人たちが付きまとって、彼女の活動に制限を加えた。彼女は度々拷問を受けたとも書いている。

襲撃されたこともあった。2001年には、殺害予告の脅迫を受けて、ウィーンに身を隠したこともある。そのときに、彼女によく似た一女性が、彼女のアパートの前で射殺されるという事件が起こった。彼女の家族は皆、彼女にこれ以上チェチェンのことを書かないでほしいと懇願した。それでも彼女は書くことを止めなかった。

脅迫は日ごとに激しさを加えた。何故そんなことにかかずらうのかと、脅迫者たちはいった。彼女はそのたびに応えた。‘How could I live with myself if I didn’t write the truth?’

彼女は、真実を自分の命と引き換えにしたのだ。

プーチンの時代になって以来、ロシアでは13人のジャーナリストが不可解な死に方をした。アンナ・ポリトコフスカヤの盟友で、ノーヴァヤ・ガジェータの同人だったユーリー・シチェチーヒンは2003年に毒殺された。2004年には、経済スキャンダルを暴いていたパヴェル・クレブニコフがオフィスの中で射殺された。これらの事件は皆迷宮入りしている。

不可解な暗殺事件は、ジャーナリストたちに留まらない。政治家や実業家の中にも、コントローリヌィ・ヴィストリェルを食らった者は多い。中には白昼堂々目抜き通りで実行され、そのままお蔵入りした事件もある。これらの事件で活躍した殺し屋どもは、まるであの殺人劇画「ゴルゴ13」の世界そのままを生きているかのようだ。

これら陰惨な事件が頻発し、殺人者たちが横行する背景には、プーチン政権の秘密警察的体質がからんでいると、記事はいう。

プーチンは、イェリツィン政権の遺産を引き継ぐ形で、1999年に権力の座に着いた。イェリツィン時代の末期、ロシアは惨憺たる状況に陥っていた。国の経済的な破綻によって、国民生活は疲弊しきっていた。そんな中で、イェリツィン政権の支持率は一ケタ台にまで落ち込み、国民の間には共産党時代へのノスタルジア気分が高まっていた。

そもそもイェリツィンはロシアの民主化の象徴として登場してきた。だが、その民主化によって、旧ソ連の構成国は次々と離脱し、産業の民有化によって、経済格差が極端に深刻化した。チェチェンで分離運動が高まると、イェリツィンはそれが近隣へ波及することを恐れて、戦車を投じて弾圧した。こうした過程は、日々テレビや新聞雑誌に取り上げられ、国民の反クレムリン感情を掻き立てた。

1996年の大統領選挙では、旧共産党のジュダーノフが立候補を表明し、イェリツィンを倒す勢いを見せ始めた。民主化の恩恵を受けていた総ての勢力は一致団結してイェリツィンの下に大同した。イェリツィンは飲んだくれで、どうしようもない男であったが、共産党よりはましだったのである。

プーチンにとって、イェリツィンのやったことは全てが反面教師になった。プーチンは行き過ぎた民主化によって拡散したクレムリンの権力をもう一度立て直すことに腐心した。また、反クレムリン感情にマスメディアの果たした役割を熟知していたプーチンは、マスメディアの統制と取り込みを図った。こうして、2000年の大統領選挙においては、大規模な言論統制が功を奏して、プーチンは楽に勝利することができた。

プーチンにとって幸いなことに、2000年以降ロシア経済は順調な拡大を続けた。石油と天然ガスの輸出がロシアの経済を潤したのである。この結果、国民生活も潤うようになった。多くの国民は、イェリツィン時代のあの惨めな生活に比べ、現在のロシアは住みよくなったと感じている。

こうした状況に気をよくしたプーチンは、様々な面でクレムリンの権力の強化に取り組んできた。マスメディアの統制も磐石なものとなった。象徴的な出来事は、1999年の第2次チェチェン紛争の際に起きた。モスクワでの爆破事件をきっかけに、ロシア政府は直ちにチェチェンに兵を出したのだが、それに先立って、すべてのマスメディアの言論封鎖を強行したのである。「忍び寄るクーデタ」ともいわれるこれらの措置によって、やがて大手メディアはすべて、クレムリンの直接間接の支配下に入った。

こんなわけで、今日ではクレムリンを批判する記事など国中何処にも見当たらない。スペクターは、現在のロシアが報道の自由という点では、スーダンやジンバブエ、アフガニスタン以下の水準だと書いている。露骨な検閲があるわけではない。だが、ロシアの記者たちは、何を書いたら許され、何を書いたらひどい眼にあうか、十分に理解しているからこそ、検閲など必要ないというわけである。

リトヴィネンコは、第2次チェチェン紛争に際して、プーチンがチェチェン介入の口実としてテロを利用したのだと告発し、プーチンの怒りを買った。リトヴィネンコはその後、プーチンの最大の政敵ベレゾフスキーに近づいたことでも、プーチンの怒りを煽った。ベレゾフスキーはかつてプーチンのために一肌脱ぎ、その政権掌握を助けた人物であるが、プーチンの反民主的な姿勢を批判したために、憎まれるようになった男である。

アンナ・ポリトコフスカヤは、その著作「プーチンのロシア」“Putin’s Russia: Life in a Failing Democracy” (2004),の中で次のように書いた。「プーチンは、この国の暗黒面たる諜報機関が生んだ子であり、ついにそのことを乗り越えられなかった。彼は今でも、KGBの一員であるかのように振舞っている。」

彼女がいったとおり、プーチンは諜報機関を再びクレムリンの中枢に生き返らせた。また、今日のプーチン政権の要職の多くは、KGBとその後裔たるFSBの出身者たちによって占められつつある。

国民がこのことを怪しまないのは、ロシア社会の好景気が彼らを物質的に満足させているからだ。腹さえ満ち足りていれば、真実などどうでもよいことだ、真実で腹が膨れるものではない、というわけか。

プーチンは次の大統領選挙には出ないといっているようだが、その言葉を額面どおりに受け取る者はいない。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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