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朝日新聞がホドルコフスキー裁判を批判



朝日新聞の1月5日付社説が、昨年暮のロシアのホドルコフスキー裁判について批判した。筆者はそれを読んで、何を今更という気持ちになったが、それでも何も書かないよりはましだろうと、朝日の姿勢を多少は評価する気持ちにもなった。というのも、日本のメディアはロシアの惨憺たる政治的・社会的状況について、余りにも鈍感だからだ。

メドヴェージェフが大統領になったことで、ロシアも少しは民主主義国家らしくなるかと、欧米のジャーナリストたちは、その成り行きを注視してきたが、全く変らないばかりか、かえってひどくなっていくことに、うんざりさせられてきた。ホドルコフスキー裁判の結果は、そのシンボルのような出来事だった。

この裁判が性悪な連中による茶番劇だったことは、当のロシアの知識人でさえ、否定しようのないことだった。だが誰も声を立ててそれを指摘できない。そんなことをすれば、プーチンに息の根を止められることを、誰もが知っているからだ。

訴追されたホドルコフスキー自身も、自分の運命がたやすく変らないだろうということをよくわかっていた、だから4日もかけて判決文が読み上げられるのを、ホドルコフスキーは嘲笑しながら聞き流していたのである。

ホドルコフスキー裁判は、ロシアには法治主義が存在しないということを、世界中に改めて知らしめた。これには世界中のジャーナリストは無論、実業家たちでさえうんざりさせられた。ロシアへの投資は政治的なリスクが高いということを、改めて彼らに思い知らせた結果、ロシアから資本や人材が引き上げられる事態が生じたのだ。

ロシアの閉塞状況は、別に今始まったことではない。プーチンが大統領だった2000年代の8年間に徐々に作り上げられ、プーチンが大統領を辞めたあとも、状況は変らなかった。閉塞状況はうすまるどころか、かえって息苦しさを増したのだ。ジャーナリストがしょっちゅう襲われたり殺されたりするのは、ロシアに自由がないことの端的な現われだ。

メドヴェージェフは、ロシアに法治主義を根付かせるといって大統領になったが、それが口先だけだったことを、世界中の人が思い知らされた。

ところが日本のメディアだけは、そうしたロシアの政治的・社会的状況に鈍感だった。ロシアは日本にとっては、さまざまな意味で重要な国であり、その動向には常に配慮すべき十分な理由があるにかかわらず、日本のメディアはほとんど無関心といっていいほど、ロシア状況を報道することがなかったといっていい。

政治家もまた、ロシアに対してお人好し過ぎたといわねばならない。だからメドヴェージェフが、外交上考えられないような無礼な行為を、平然としてはばからない事態が生まれるのだ。

筆者がロシアの状況について強い関心を抱くようになり、このブログでも積極的に取り上げるようになったのは、アンナ・ポリトコフスカヤ女史の暗殺事件に接して以来だ。筆者はこの事件の中に、今日のロシア社会の病理のようなものを感じた。

筆者は学生時代にロシア語を勉強したことがきっかけで、ロシア人とロシア文学に強い関心を抱いてきた。だからそのロシアが、いまだに古代的専制国家と同じような状態にいることが、常に気になっていた。

今のロシアはプーチンによる専制政治といって大きな間違いではない。その専制政治の影響が日本にどう働くか、日本の政治家とジャーナリズムは、よく考えて対応すべきである。(上の写真はホドルコフスキーの顔写真を掲げるモスクワ市民:AFP提供)





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