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ウクライナにおけるホロコースト

パリにホロコースト・ミュージアムがオープンしたのは2005年1月、第二次世界大戦中ナチスによってフランス国内からアウシュヴィッツに送られた11000人のユダヤ人の記録を後世に残すことが主な目的だった。その場所で今、ウクライナにおけるホロコーストを紹介する展示が行われている。

ウクライナを始め、旧ソ連におけるナチスのユダヤ人虐殺は、西欧諸国以上に大規模なものだったとされる。だがこれまで、その全貌が明らかにされることはなかった。ソビエトのリーダーたちは、戦後ナチスに対する勝利と、闘いの中で自国民が被った犠牲を宣伝することには熱心であったが、ナチスのユダヤ人に対する犯罪を糾弾することはなかったのである。

彼らは公には口にしなかったが、ソビエト社会での反ユダヤ感情は、帝政ロシアの時代におけると同様根強いものがあった。したがって、ナチスによってユダヤ人たちが被った苦しみについては、同情するところ極めて弱かったのだと思われる。

第二次大戦勃発時、ウクライナには270万人のユダヤ人が暮らしていたという。そのうちの実に150万人がナチスによって殺された。ウクライナはナチスの占領が広範囲にわたったので、このような組織的かつ大規模な虐殺が行われたのだろう。ユダヤ人が虐殺されて埋められた場所はウクライナのほぼ全域に分布し、その数は720余りにのぼるという。

この展示をプロデュースしたのはパトリック・デボア Father Patrick Desbois 師である。師はローマ・カトリックとユダヤ教の融和を図る団体 Yahad-In Unum の指導者であるが、自分の祖父がウクライナの虐殺からかろうじて生き残ったということを聞き及び、その虐殺の全貌を調査しようと思い立ったのだった

師とそのグループは、6年間かけて500の虐殺地点を調査した。既に半世紀以上も経過し、生存者の高齢化が進んでいる中で、この調査は困難を極めたらしい。師の祖父がかろうじて生き残ったラヴァ・ルスカという西部ウクライナの町を、1990年代に訪れた際には、町長は知らないという理由で調査に協力してくれなかった。だが数年後再び訪れた際には、110名の住民が出迎えて、その場所に案内してくれたそうだ。それは人を葬るという印象とは無縁の、殺伐極まる光景であったので、師はショックをうけたという。

インタビューに応じた人々は、虐殺時には子どもだった人が殆どである。彼らの話に共通しているのは、虐殺の原始的なやり方だ。ダッハウやアウシュヴィッツのような、近代的虐殺施設は用意されておらず、みな裸にされたうえで銃で撃たれた。そしてそのまま穴の中に放り込まれ、土をかぶせられたのである。

当時子どもであった人々の証言は、自分の傍らで死んでいった人々の話である。また年長の子どもは横たわった人間の上に、シャベルで土をかぶせる作業を強制された。横たわった人々の中には、まだ生きている者も多く含まれていた。弾丸を節約するために、一人につき一発というルールがあったために、死に切れない人々も数多くいたのだろう。

証言者の一人ニーナ・リーシチナは、1944年にクリミアのシンフェローポリで行われた虐殺の際、わずか5歳の少女だった。彼女は人々とともに裸にさせられ銃殺の順番を待っていた。隣には赤ん坊を抱いた婦人がいたという。人々は次々と撃たれ、穴の中に転がり込んでいったのだった。

そのうち彼女は気を失ったが、目が覚めるとあたりは真っ暗になっていた。夢中で木の根っこにつかまり、やっとの思いで穴の中から脱出することが出来たという。彼女の命が助かったのは、一人一発のルールが幸いしたからにほかならない。運よく生き残った殆どの人は次の処刑の際にとどめを刺される運命にあったが、彼女はなんとか命をつなぐことが出来たのである。

虐殺の規模が最も大きかったのは、キエフ郊外にあるバビ・ヤールという谷間地帯である。わずか二日の間に、34000人のユダヤ人が虐殺された。

戦後まで生き残ったウクライナのユダヤ人たちは、ナチスによる同胞の虐殺について、声を上げて訴えることがなかった。ウクライナ社会にある反ユダヤの感情が彼らを孤立させ、自由にものを言える雰囲気を阻害していたからだ。1991年のソ連崩壊以後でも、ユダヤ人たちは虐殺について語ることをためらっていた。彼らが重い口を開くようになったのは、つい最近のことなのだ。

現在ウクライナに住むユダヤ人の人口は、公式数字では10万人ということになっている。実際は50万人にのぼるといわれているが、それにしても過去の一時期に比べ激減していることは否めない。

(参考)
Window opens on Holocaust in Ukraine By Angela Charlton : AP

On the Web:
Paris Holocaust Memorial: http://www.memorialdelashoah.org
Yahad-In Unum: http://www.yahadinunum.org





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